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旧長崎医大の門柱 原爆遺跡に登録

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8月9日の68回目となる長崎原爆の日を前に、長崎原爆で被爆した旧城山国民学校校舎など長崎市内の「原爆遺跡」4件が国の文化財・登録記念物に登録されました。長崎原爆の遺構が登録されたのは初めてです。関係者は被爆の歴史を伝え、記憶をたどるきっかけにもなる遺構に改めて向き合い、核兵器廃絶への思いを新たにしているそうです。

長崎大医学部のキャンパスにある旧長崎医大の門柱も登録記念物の一つ。これまで原爆の威力を示す遺構として注目されてきました。爆心の東約700メートル、1.2メートル四方、高さ1.8メートルの立派な石柱ですが、爆風で傾いたことで台座から最大16センチの隙間ができています。

原爆で大学は全壊・全焼し、教職員、学生ら約900人が死亡。市丸さんは路面電車の事故で大学に行けずに無事でした。翌10日から遺族らとの連絡役で向かった市内の救護所で目にしたのは、外傷もない人が次々と息絶え、何が起きているのか戸惑う先輩医師たちだったそうです。

当時、放射線障害の知識は乏しく「今思うと、言葉は悪いが、治療は気休めのようなものだった。焼け野原の中で火葬した犠牲者には級友もいた。被爆者に多発した白血病治療を研究する道を選んだのは友人の分まで頑張ろうという思いもあった。」と語っています。

冷戦下、核戦争防止などを目指し、東西両陣営の医師が1980年に結成した「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW、1985年にノーベル平和賞受賞)に参加。反原爆の訴えを被爆地・長崎から届けました。各地での講演では「核が使用されれば病院は何も機能しない。原爆は“人類絶滅装置”だ」と繰り返し、核兵器廃絶を訴え続けたそうです。

市丸さんは研究を退いた今も、核兵器の動向に気を払っていて「廃絶への道は遠いと感じるが、核兵器がある限り、68年前の長崎の地獄を繰り返す可能性はある。ゼロにすることを次の世代に託したい。」と話し、「医学部や仲間が受けた被害の象徴として、大事に受け継いでほしい。」と想いを語っていたそうです。

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