AIDS治療薬を世界で初めて開発したのは日本人医師だった

1980年代に感染すれば「死に至る病」と恐れられていたHIV(ヒト免疫不全ウイルス)。AIDS(後天性免疫不全症候群)を発症させるウイルスですが、その発症を抑える抗ウイルス薬を世界で初めて開発したのが日本人医師だということはあまり知られていません。満屋裕明、現・熊本大学大学院生命科学研究部/エイズ学研究センター教授(医学教育部専任)血液内科学・医学博士、その人です。

「人は生まれながらに平等であり、全ての人が豊かで幸せな生活が送れる世の中をつくれるような職業に就きたいと考え、医師になることを選びました」という満屋博士。過酷極まる状況に身を投じる博士の決断と姿勢からは、どんな分野の医師にも共通するひとつの指針が見えてきます。

HIVの脅威は今も世界に広がっている

満屋博士の業績を知る前に、HIVとはどんなウイルスなのか、AIDSとはどのような病気なのか、現在HIV感染者はどれくらいいるのかを再確認してみましょう。啓蒙活動もかつてより静かになってしまった今、HIVの現状はあまり知られていないのが現実だと思います。

HIVは免疫系で重要な役割を持つTリンパ球やマクロファージ(CD4陽性細胞)などに感染するウイルスで、感染した細胞の中で増殖します。結果、これらの細胞が徐々に減少し、それに伴い免疫が失われるために病原体に感染しやすくなり、様々な病気を発症することになります。このさまざまな病気を発症した状態をAIDS(Acquired Immuno-Deficiency Syndrome、エイズ、後天性免疫不全症候群)と言い、代表的な23の疾患が発症した時点で診断されます。AIDSの発症後、治療をしなければ1年以内に50%が、2年以内に90%が死亡することが分かっています。

AIDSの感染経路は性行為によるものが最も多く、その他に輸血などの血液感染、母子感染などが挙げられます。輸血については現在、日本赤十字社ですべての献血血液について厳格なHIV検査を実施しているため、感染の危険性は極めて低いと言われています。また、医療従事者の針刺し事故での感染を防ぐために、医療現場では注射針の安全な取り扱いや、適切な破棄が徹底されています。万が一、HIV感染者の血液による暴露事故が起こってしまった場合でも、2時間以内に抗HIV薬の予防内服を行うことによって、感染の危険性を低下させることができるそうです。母子感染に関しても妊娠初期に母親のHIV検査が必ず行われ、感染が見つかった時には適切な赤ちゃんへの感染予防対策が確立されていて、現在では母子感染を0.5%未満にまで低下させることが可能となっています。

日本では1985年に初めてエイズ患者が確認され、2008年までにHIV感染者が1万500件あまり、AIDS患者がおよそ4,900件報告され、現在でも増加の状況が続いています。世界では1981年に初めてAIDS患者が報告され、2007年末までに2,500万人がHIV関連疾患で亡くなり、3,300万人がHIVに感染していると考えられています。2007年には1日当たり7,400人が新たに感染していると試算されました。

米国で孤立無援状態でAIDSと闘った満屋博士

満屋博士がAIDS治療薬に取り組んだのは1984年、アメリカ国立癌研究所(NCI)に留学している時のことでした。それまで同研究所で九州に感染者の多い「成人T細胞白血病」の病原菌である「ヒトT細胞白血病ウイルス」の研究をしていた満屋博士でしたが、HIVウイルスがこの病気のウイルスとと同じ細胞に感染することから、AIDS治療薬開発の研究開始に有利な立場にありました。そこで「全世界で必要としている人がいる」という強い使命感から研究に着手することにします。

しかし、感染を恐れた助手からは実験の補助を断られ、同僚には実験に研究室を使うなら辞職すると言われてしまい、孤立無援状態に。満屋博士は他の研究室から理解者を見つけ、誰もいない夜間と早朝にそこを借りる約束を取りつけて、一人での実験に踏み切ります。

失敗を繰り返す孤独な日々を経て、目指す薬が見つかったのは1985年2月のことでした。元々はがん治療薬として開発されたAZTという物質がHIV感染を阻害し、強い毒性もみられないことを突き止めます。臨床試験でも同様の結果を得て、1987年に世界で初めてのHIVの抗ウイルス剤として実用化されることとなります。「治療法はおろか、原因がよく分からない病気の研究では、うまくいかないことがもちろんあります。しかし、それは失敗ではなく成功の過程であり、その原因を突き止め、次につなげることが重要なのです」とのちに満屋博士は研究への姿勢について話しています。

4種類ものAIDS治療薬を生み出した満屋博士

満屋博士のAIDS治療薬の研究はAZTの開発だけでは終わらず、「ddI」「ddC」という物質もHIVが増殖の際に利用する酵素の働きを阻害することを発見します。これが第2、第3の治療薬となりました。さらに1995年に現在も世界中で広く使われている「ダルナビル」という薬を開発。26種類ある治療薬のうち、4種類を生み出したことになります。

しかし、新しい薬が生み出されて広まれば、必ず薬が効かない耐性ウイルスが現れます。「もっと強く、もっと副作用がない薬剤は、きっとある」と満屋博士はダルナビルが効かないウイルスの増殖を抑える薬の開発に今も取り組んでいます。

HIVウイルスを消滅させる薬がない以上、全く正体の分からない相手ではなくなったとはいえ、研究には感染の危険が伴います。それがどのような現場なのかといえば、ヒトの細胞を移植しHIVに感染させたマウスを扱う時には、噛まれて感染するリスクを考えて針金でできた手袋を使って実験に臨むのだそう。

正体の分からない死と対峙する恐怖を乗り越え、誰もいない研究室に一人で入って行く勇気を満屋博士に与えたものは何だったのでしょうか。そして、大きな功績を上げた今もなお、危険と隣り合わせの研究室に博士を留めておくものは何なのでしょうか? 満屋裕明というひとりの医師の生き方には、目指す分野が違ったとしても、医学部を目指す皆さんの「医師としての」指針になるようなものがあるはずです。