2015年のノーベル生理学・医学賞は3名が受賞しましたが、その内の1人は北里大学特別栄誉教授の大村智氏でした。日本人の生理学・医学賞受賞は、2012年にIPS細胞の研究で受賞した山中伸弥氏に続いて3人目となります。ノーベル生理学・医学賞がどんな賞なのか、大村氏がどのような功績で受賞したのかを入試の前にもう一度確認しておきましょう。また、大村氏の魅力的な人物像は、これから医学を学ぼうとする人にも指針となるものです。

ノーベル生理学・医学賞とは?

ノーベル賞には、「物理学賞」、「科学賞」、「生理学・医学賞」、「文学賞」、「平和賞」、「経済学賞」の6部門があり、年に1度毎年10月に受賞者が発表されます。受賞者は各部門の選考委員が決定し、長い間の功績に対して贈られることもあります。受賞するのは各部門で3人までとなっています。

生理学・医学賞は“生理学及び医学の分野で最も重要な発見”を行った人物に贈られますが、近年の受賞研究は、生化学や分子生物学、分子遺伝学などの分野が多く占めています。そのため、今回の大村氏の感染症研究での受賞は新しい視点での選考だと捉えることができます。

ノーベル生理学・医学賞を贈られた大村氏の功績とは?

大村氏は“線虫感染症の新しい治療法の発見 [ for their discoveries concerning a novel therapy against infections caused by roundworm parasites ]”で2015年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。これはどんな研究だったのでしょうか?

大村氏は今回ノーベル生理学・医学賞を共同受賞したウィリアム・キャンベル氏と共に、土壌から分離された微生物から「エバーメクチン」という化合物を発見。エバーメクチンは、寄生虫や節足動物の神経に選択的に働き、麻痺させて駆逐しますが、一方で、ほ乳類の中枢神経系にはほとんど作用しない物質でした。そのエバーメクチンを、有機合成などの手法を用いて改良し、さらに抗寄生虫活性を高め、同時にほ乳類への作用を低減したのが、「イベルメクチン」です。イベルメクチンは、当初、牛や馬、豚などの家畜動物に感染するダニや寄生虫を駆除する薬として効果を発揮しましたが、これがヒトの感染症「オンコセルカ症」にも極めて有効なことがわかります。

オンコセルカ症は熱帯地方の河川域で、ブヨなどによって媒介される感染症で、河川盲目症とも呼ばれる病気です。ブヨが吸血した際に、回旋糸状虫の幼虫がヒトの体に入り、皮膚のかゆみや発疹を引き起こします。さらに、目に幼虫が侵入すると、角膜炎から失明に至ってしまいます。WHOの報告では、アフリカ(サハラ以南)や中南米などの熱帯地域35ヶ国で、オンコセルカ症の患者数は約1,800万人に上り、失明者数は27万人とされています。

キャンベル氏が在職していた米国の製薬会社「メルク社」と北里研究所は、イベルメクチンの無償提供を1988年から開始。WHOは、これにより2002年までに60万人が失明から救われ、4,000万人が感染を免れたと宣言しています。さらにWHOとアフリカ・オンコセルカ症制圧プログラム(APOC:the African Program for Onchocerciasis Control)が2012年に開催した「オンコセルカ症タスクフォース」での協議・検討の結果、アフリカの感染諸国25ヶ国のほとんどでイベルメクチンを集団投与することで、2025年までにオンコセルカ症の撲滅が予定されています。

また、オンコセルカ症とは馴染みの薄い私たちの生活にもイベルメクチンは浸透しています。1980年代まで日本で蔓延していたフィラリア症は、蚊の媒介によって犬糸状虫(フィラリア)が犬の心臓に寄生して死に至らしめる病気ですが、この病気もイベルメクチンを投与することによって防ぐことができるようになりました。

人間としての魅力が研究を躍進させた

大村氏は、山梨大学を卒業後、定時制高校の教師をしながら、東京理科大学大学院修士課程に通学し、研究者の道をスタートさせました。“負けず嫌い”と自身を称する大村氏は、「昼間は大学院生、夜間は教師」という苦労を越え、1965年に活躍の場を北里研究所に移します。

その後、1971年に米国のウエスレーヤン大学に留学。そこでメルク社を紹介されたことが、世界最高レベルの産学ネットワークを築くきっかけとなったわけですが、その実現は大村氏が研究者として優れていただけでなく、優れた人間性が強い信頼を生んだからこそだと言われています。北里大学の大村研から排出した教授は31人、学位取得者は120人余り。これは、日本の大学では類を見ない人数です。大村氏は人材育成の手腕に長け、学生や研究者に対し、誰にでも公平にチャンスを与え、意欲があれば支援を惜しまないといいます。このような姿勢が大村氏の学術成果をさらに飛躍させることになったのでしょう。

大村氏がメルク社と共同研究する契約を結んだ1973年は、日本では産学連携が未開の時代でしたが、すでに産学連携が広がりを見せていた米国でも、その契約内容は「大村メソッド」と呼ばれる独自のものでした。大きな特徴は、「新物質を発見した場合の特許の出願はメルク社が行い、その特許で生まれた製品の売上高に応じたロイヤリティ相当分を研究費として北里研究所に還元する」ということ。通常、特許の出願は発見者が行うので、これをメルク社に全権委任するという契約は異例のものでした。特許の扱いに長けているメルク社が行ったほうが双方にメリットが高いと、大村氏は考えたのです。大村氏はこの産学連携で得た利益で、傾きかけていた北里研究所を立て直し、経営者としての手腕も発揮しました。

ノーベル賞受賞のニュースが日本全国を駆け巡り、その時に注目されたのが「芸術への深い造詣」という、大村氏の研究者とは違うもう一つの顔でした。大村氏は北里研究所の理事長を務めていた当時、イベルメクチンの還元金を元に埼玉県北本市に「北里研究所メディカルセンター病院」を建設していますが、この病院を絵画の並ぶ美術館のような病院にしようと発案します。絵画や陶芸品のコレクターであった大村氏は、自身のコレクションだけでなく、もっと様々な絵画を展示しようと公募を行い、それによって多くの名画が無償で提供されました。この「美術館病院」という試みは、世界でも類を見ないということで、病院の知名度を上げることにもつながりました。大村氏は、現在、女子美術大学の名誉理事を務めるほか、故郷の山梨県韮崎市に設立したコレクション約2,000点を展示する「韮崎大村美術館」の館長も務めています。

大村氏の故郷に対する思いは強く、山梨県の科学の発展を目的とする「山梨科学アカデミー」を1995年に設立しています。山梨科学アカデミーは、イベントや講演会、情報交換会、人材育成のための顕彰などのほか、小中学生を対象としたセミナーや科学賞を開催するなど、山梨県の科学技術の人材育成に努めています。